榎木和貴ブログ『走姿顕心』ではマラソンや駅伝のレース解説や分析・選手や指導者との対談、陸上含めそれ以外のスポーツ観戦実況など、いろいろな角度から及び現役指導者として「榎木和貴」の目線のスポーツ記事を掲載していきます。
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KAZUTAKA ENOKI
榎木和貴 えのき かずたか
創価大学駅伝部監督
1974年6月7日 宮崎県宮崎市生まれ
警察官だった父の勤務先の関係で、宮崎市▶︎都城市▶︎高千穂町▶︎日南市▶︎高崎町と宮崎県内各地にて幼少期を過ごした。
高千穂町で過ごした小学生時代に剣道の鍛錬の一環で、毎日ランニング2kmを走ってから剣道の練習に行くという日課が、後の陸上競技との出会いとなる。また、魚の宝庫として知られる日南市では毎日のように食卓に上げられる新鮮な生魚を主食に当時キャシャな身体からは想像もつかない食欲旺盛さが後の長距離競技に適した身体を作りあげていく事となる。
小学6年生まで剣道をつづけ恩師石井隆年館長が主催する「思誠館」道場で精神面を鍛えてられ、安定した粘りの走りを生み出す事となる。剣道実績はというと当時県大会で常に3位以内入賞する程の腕前でもあった。剣道で重要な足捌きの習得が、ランナーに必要な足捌きとリンクする事も過言では無いようだ。足底の強化や着地の強さはどちらの競技にも大きく重要視されるところである。
個人的には大の「巨人ファン」で、野球大好き少年だったことから野球部への進路も検討されたが、宮崎県日南市立吾田中学校に進学するとすぐに街の噂を聞きつけ当時学校の陸上部顧問であった田爪俊八先生に熱烈なオファーを受け、陸上部に所属する事となる。入学後は、同学年に力の均衡した多数のライバルが存在しており、1500mのチーム平均が4分20秒台というハイレベルな中で毎日切磋琢磨がこなわれていた。自然豊かな日南市では、練習後の川遊びや釣り、稲刈り後の田んぼでのゴルフなども楽しみの一つであった。そのような伸び伸びとした環境とハイレベルな仲間のおかげで毎年全国中体連の陸上大会に出場する事も出来た。さらに中学二年生の時には当時中学駅伝最高峰大会の九州中学校駅伝競争大会(現福岡県宗像市:当時津屋崎町開催)でチームが初出場し、初優勝すると言う快挙も成し遂げることができた。
チーム優勝の立役者となった事が評価され地元の小林高校駅伝部の当時前監督であったの外山方國氏の目に止まり、後任の冨永博文監督からの勧誘により入学。一年生より全国高校駅伝大会のレギュラーとして出場し3年間都大路を走ることとなった。在学中全国高校駅伝大会3位を2回を経験している。※当時記録は下記に記載。
大学への進学は冨永監督の母校でもある中央大学法学部(当時の監督は大志田氏:現東京国際大学駅伝部監督)からの推薦を受け入学。箱根駅伝を4年間走り四年連続区間賞の快挙を成し遂げ、キャプテンも務めた。
大学卒業後は高校の偉大な先輩でもある谷口浩美氏の影響を受け旭化成陸上部に入社。3年後の「別府大分毎日マラソン」で優勝を収めた。以後の経歴は下記を参照。その後、沖電気プレイングコーチ➡︎トヨタ紡織プレイングコーチ➡︎ヘッドコーチ➡︎同チーム監督➡︎現在(創価大学駅伝部監督)に至る
Best record
種目 | 記録 |
1500m | 3分49秒76 |
5000m | 13分43秒71 |
10000m | 28分39秒07 |
ハーフマラソン | 1時間02分43秒 |
マラソン | 2時間10分44秒 |
Career
- 宮崎県立小林高等学校駅伝部
- 中央大学陸上部
- 旭化成陸上部
- 沖電気女子陸上部ランニングコーチ
- トヨタ紡織プレイングコーチ
- 同社陸上競技部監督就任
- MLT株式会社 sports director(2019.12)
- 創価大学陸上部駅伝チーム監督就任(2019.2)
Competition history
1990年 | 国民体育大会(福岡) | 少年B 5000m 2位 14分56秒 |
1991年 | 全国高校駅伝 (小林高校) | 4区 区間賞 チーム3位 |
1992年 | 全国高校総体(宮崎) | 5000m 6位 14分26秒65 |
1992年 | 全国高校駅伝 (小林高校) | 1区 区間3位 29分57秒(チーム3位) |
1994年 | 箱根駅伝 | 8区 21.3km 区間賞 1時間06分31秒 |
1995年 | 全日本大学駅伝 | 2区 13.2km 区間賞 38分43秒 |
1995年 | 箱根駅伝 | 8区 21.3km 区間賞 1時間06分03秒(区間新) |
1996年 | 箱根駅伝 | 4区 20.9km 区間賞 1時間02分15秒(総合優勝) |
1996年 | 世界ロードリレー(デンマーク) | 日本代表 |
1997年 | 箱根駅伝 | 4区 20.9km 区間賞 1時間06分03秒 |
1997年 | TOTOスーパー陸上 | 5000m 5位 13分43秒71 |
1998年 | 全国都道府県対抗男子駅伝 | 3区 9.2km 区間2位 26分30秒 |
1999年 | 延岡西日本マラソン | 42.195km 4位 2時間13分18秒 |
2000年 | 別府大分毎日マラソン(旭化成) | 42.195km 優勝 2時間10分44秒 |
2005年 | ゴールドコーストハーフマラソン | 3位 1時間3分37秒 |
2005年 | 別府大分毎日マラソン(沖電気) | 42.195km 8位 2時間13分34秒 |
2006年 | 上海国際マラソン | 5位 2時間15分40秒 |
2007年 | 長野オリンピック記念マラソン | 42.195km 5位 2時間14分19秒 |
Activity
- キッズ・ジュニアの育成
- 指導者育成・マネジメント
- 学校・企業への「夢」講和
- ゲストランナー・解説
- アスリートマネジメント
Item
- 自身のマラソン成績(別紙参照)
- プロ選手指導の実績(別紙参照)
- トップ駅伝チーム(実業団、大学、高校)指導者や選手との強い信頼関係
- 全国各地にある人脈
- マラソン界、陸上界(陸連など)での認知度
「走姿顕心」走る姿はその人の心を顕わす
私の高校時代の恩師の一人でもある故外山方圀氏が常に選手に向けて言い続けて来た言葉である。駅伝を通じて競技力とともに人間力も向上しなければ決して強くならないと言う教えが、書かれた外山先生の生前著書でもある『走姿顕心』からタイトルを頂きました。その教えや思いを少しでも沢山の後輩達やスポーツに携わる方々に伝えていければと思います。
(榎木和貴)
連絡 ke@mlt.jpn.com