走姿顕心 vol.48

第97回 箱根駅伝ふりかえり

熱く複雑な思い

2021年1月の箱根駅伝には、私やコーチ陣をはじめ、選手やマネージャー達、チーム全員が特別な想いをもって挑みました。

2020年夏合宿

国内のコロナ蔓延と同時にスタートしたチームの新体制は、通常なら春合宿から全員でスタートするところでした。しかし、大学が閉鎖され生徒(選手)達も一時解散の指示が出され、家族の事情等で帰省できない学生のみ寮に残り、それ以外の学生は自宅へ帰省することとなりチームはバラバラに。

慣れないリモート(オンライン)での授業、外出制限(接触者制限)、単独での練習、限られた場所のみでの練習、など多々窮屈な状況や環境でも選手たちは常に”前を”向いて取り組んでくれました。

2020冬:学校敷地内のみでランニング

下馬票から偉業達成

そんな複雑な状況下で2020年2月に新体制になりチームとして【第97回箱根駅伝総合3位】を目標にスタートしました。マスコミ各社のチーム評価は、コロナ禍で情報収集に苦戦したのでしょうが10位〜15位と、我々の目指すところとは全くかけ離れたものでした。選手やスタッフ達の心の中には「世間を見返してやろう」「もう一花咲かそう」というハングリー精神も加わり、【2021年1月2日往路】大学創部史上初で史上19校目となる『往路優勝』で芦ノ湖のフィニッシュテープに五区”三上”が飛び込み、日本中に衝撃を与える事となりました。

往路フィニッシュテープをトップで切る場面

私個人的に感じた事は、「97回という歴史ある大会でしかも関東には沢山の大学がある中で、まだ19校しか往路優勝を達成していないのか」と箱根駅伝の城壁の高さを改めて感じた瞬間でした。

往路フィニッシュ後、芦ノ湖をバックに

笑顔の“襷”リレー

1月3日復路は「往路で作った214の貯金をどこまで持ち堪えられるか?」どちらかと言うと守りの戦いを誰もが想像してのスタート。

しかし、テレビをご覧になった方は気付かれた方もいると思いますが、復路の選手たちは後続を気にするどころか全員”笑顔”で襷をリレーしていました。ひたすら自分の走りに徹する事前計画通りに全員が走ってくれた事で、9区21km付近まで先頭を走るという箱根駅伝に関わるものなら誰もが羨む経験を得る事ができました。残り2kmで駒澤大学に先頭を譲りはましたが、見事『準優勝』での堂々とした走りを世間に披露してくれました。

監督総評

今回はメディアにもあまり伝えていない各区間の選手たちの走りを分析しながら97回箱根駅伝の戦いを解説して見ようと思います。
(ここらかは全10区間ありますので2回に分けて掲載します)

第1区:福田悠一(4年•米子東)

言わずと知れた創価大の日本人エース。
どんな試合でも、どんな展開でも冷静で確実に結果を残すチーム1信頼のおける選手。

大手町の読売新聞社前、午前8時に号砲がなり一斉に選手たちが駆け出していったがいつもと様子が違った。有力者が揃う1区は出遅れが許されない重要区間で各選手は力を温存しようと牽制をしたのでしょう1キロ3分30秒と言う稀に見るスローペースからのスタート。

スロースタート直後の1区

レースはその後も淡々と進み、終盤の仕掛けどころとなる”六郷橋”でレースは動きました。

法政のスパートに反応した福田選手

福田は日頃の学内のクロカンコースで培った成果で、ペースの変化にも柔軟に対応しラスト勝負に備えていました。

福田は100%の体調とはいえない中でレースに臨み(10日ほど前から背中の張りと足の痛みがあり1週間前の練習を回避させ治療に専念)痛みもあったであろう中渾身のスパートをかけ第3位という好順位でムルワ(2年)に繋ぎ福田個人としても陸上競技の集大成を果たす事ができました。

創大スポーツより

第2区:フィリップ•ムルワ(2年キテタボーイズ・ケニア)

初の箱根駅伝挑戦となったが、駅伝を走ったのは今回で2度目。2020年夏合宿期間に新潟県妙高市で開催された妙高駅伝(3区10.2km)が初の駅伝経験。福田から3位でタスキをもらい前半は冷静にレースを進め無理せず集団で力を温存。7km過ぎ後方から勢いよく走って来たヴィンセント(東京国際大2年)に即反応し、すかさずマークしました。2人で集団を抜け出した事は良い判断だったと思います。この勇気ある行動は、後に控える選手にも自分達が培ってきた事の証として伝わった事は間違いありません。

ムルワは、私がスカウトした最初の選手でもあります。勧誘の際ケニアを訪問してご家族にもお会いしましたが、決して裕福と言えない生活環境の中、彼は親元を離れクラブチーム(キテタボーイズ)で練習を行い学校にも通って来た真面目な性格。

その練習環境はというと、標高1300mの高地にあり「雑草が生い茂るデコボコのグランド」「全く平坦がなく未舗装で土埃のたつ道路」を毎日のように走っていました。

ムルワ選手とファミリー

彼の明るく社交的な性格はチームでもムードメーカーとなっています。昨年秋にグランドで足を捻りケガをしてしまった彼は1週間経っても走り出せない自分に対する悔しさと歯痒さからか「チームに貢献できないことが申し訳ない」と涙も流してくれる一コマもありました。そんな彼の姿を間近で見ていた他の選手たちは、彼の思いと現在恵まれた環境で大学生活や競技ができる有り難さを改めて感じてくれ、ムルワを通してチーム内に更なる結束力が生まれました。私(監督)自身も彼ならば絶対に日本で強くなり成功者になれると確信しています。

終盤はヴィンセントに離されたが2位を死守し同級生の葛西にしっかり繋いでくれました。

創大スポーツより

第3区:葛西潤(2年•関西創価)

ムルワからのタスキを”笑顔”で受け取り駆け出していった。前半は下り基調でスピードに乗りやすいコースだが予想以上に速いペースに気づき3km付近で自分のペース戻して推していくことを選択させました。周囲の選手が終盤にペースを崩す中、最後まで2位を守り切り4区へ繋いでくれました。

葛西は高校生の時に『世界クロスカントリー大会)に日本代表選手として選出されるほどのエリート選手で、育成牧場と言われる創価大学駅伝部に唯一華々しい成績を持ってサラブレッドとして入って来た選手です。
2020年の1年生では、メンバー選考ギリギリで10番目に入った事もあり、一回も試走することなく"魔物が住む"と言われる下りの6区を走ることになり、区間16位という結果に「悔しさしか残らなかった」と、2020年箱根駅伝後に「何か自分自身を変えるきっかけが欲しい」という本人の希望と私の構想も重なり、海外(ケニア)合宿に行かせることにしました。

ケニアというところは環境的にも"武者修行"をするには持ってこいの地であります。最初の3日間のみ同行しましたが残りの3週間は彼一人で、現地のクラブチームの選手たちと練習に励み沢山の収穫があったと聞いております。帰国後の葛西は一回り大きく見え(見た目が太ったのではない笑)競技に対する考えや人との対話の仕方にも成長を感じさせてくれました。今回3区に配置となりましたが、ここ数年は上位を目指すチームの要区間なっており流れを掴む為の重要区間です。成長から見て取れる通りの堂々とした走りで区間3位で4区嶋津に襷を繋ぎました。

創大スポーツより

4区以降の監督総評は次号にて掲載させて致します。

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